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演劇ユニット 昼ノ月

3人でお芝居します。
2024
04,18

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2008
12,09
ねこ。

さむい。
旅先でしりあったねこが、鈴江のおなかの上でぬくもっている。
彼女の居心地良さを知っているのでどうにも動けないのだが、しかし、このままでは私が風邪を引く。……という葛藤の中、彼女はやはりぬくぬくしている。

われわれの演劇活動はまだまだ続きます。
次昼ノ月にかえってくるまで、それぞれが動いています。
鈴江はまた台本を書く。演出する。
上品芸術演劇団「あたしと名乗るこの私」大阪、精華小劇場にて。くわしくは上品芸術演劇団のサイトへどうぞ!

http://www.milmil.cc/user/jouhin/

押谷裕子も、制作の脇野裕美子も今回は出演します!
どうぞよろしく!
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2008
11,28


音楽のユニットに成長した昼ノ月、なんと広島でデビューしたのだ。この前の月曜日。



写真は打ち上げの会場で語るリードソプラノリコーダー奏者二口大学。そして絶妙なアンサンブルを演出するバイプレイヤー、鈴江俊郎。
脇野、押谷の四名が参加した「鈴江祭り」という3つの短編演劇作品の試演会の、幕間のショーを引き受けたのだ。「モルダウ」は「顔を見ないと忘れる」の本番よりもいっそうぶあつい音を会場に提供し、場内はなぜか興奮と感動に、いや笑いに包まれ……いや。あれは感動の笑いだ。私たちの恐る恐るの演奏に皆緊張し、そして弛緩し、皆この世にはない光を一瞬みたはずなのだ。
ふふふ。昼ノ月おそるべし。音楽でも伝説をつくってしまいかねないやつらはどこまでいくのだろう。

もちろん「鈴江祭り」という企画自体、いい上演に恵まれて、真に心温かい一日となった。鈴江作品の抜粋ばかり3作品を連続上演、なんてもう、疲れる3時間あまりになるに決まってる……と鈴江本人はおそれ、おびえ、小さくなって過ごしていたのだが、いやいや、神は許してくださった。広島に新しい演出家、役者も誕生したのだ。若い人たちは皆懸命にチャレンジしてくれた。そして、確実に私は客席で、泣いた。たくさん笑いもしたが、やっぱり決定的に、泣いた、という事実のほうが私には重い。人が人を精一杯思い、思いつめる、っていう姿は、どうしてこんなに、きれいなんだろう。そういう上演。

広島の人たちに丸ごと愛で包まれて、私たちはもうこの世でないような幸福感に酔ったのでした。
ああ広島。川の美しい街。私たちが鴨川で稽古した響きは、あの街にもやっぱりよく似合うのでした。
私たちの対バンド、も広島には誕生した。「のばら」を演奏した劇団ハマチ主義のおじさんふたり。またの対戦を誓って、私たちは広島の街を後にして、ああ。またつぎ、この街を訪れるのが楽しみなのだ。
広島の皆さん、ありがとうございました。
こころから。

2008
11,13
こんばんは!
脇野です。

朝晩はとても冷え込みますね。そりゃ紅葉もどんどん紅葉らしくなります。
広島へ行く前の山と帰ってからの山はとても違いました。
行く前は紅葉が1割だったのに、帰ってきたら2割5分でした。
紅葉が割り増しする間、私たちは広島にいたのだなあ。
としみじみしてしまいます。

2008年の「顔を見ないと忘れる」は全て終了しました。
リハーサルを見ていると、なんだかしみじみしてしまって、
勝手におかあちゃんのような気持ちになってしまって、
よう頑張ったなあ頑張ってるなあ、なんて思ってしまいました。
えらそうにごめんなさい。

そして広島演劇協会の皆様、
「顔を見ないと忘れる」実行委員会の皆様、
本当に本当にありがとうございました。
みなさまの力で舞台が出来上がりました。
幸せです。感激です。

稽古の後、リハーサルの後、本番の後、
鈴江さんのダメだしを聞いている二人の姿はいつもと変わらず。
ダメだしをする姿もいつもと変わらず。
そうやって蓄積されていくこのお芝居、
次は2009年4月に愛知公演です!
日々成長ですもの、きっとすんごいことになるはず。
楽しみ!



写真は本番前の風景。
これも変わらず。

2008
11,13
kabee

広島からかえってきて、ようやく、ほっとして。
広島の会場は他の会場と違って、三方客席。壁が二面立ち、二方から客席が迫ってこそ、人物二人がおいつめられたあの感覚が生まれるのに、大丈夫かなあ……一面しか壁が立たない、しかも高さも3メートル60センチの巨大なものが無理で、いつもの7割の高さしかない壁で……
舞台や照明を気にすることになっている鈴江はもう胃袋がよじれるくらい心配していたのでした。
しかし、たってみれば。あれよあれよと。
……山小屋シアターのスタッフ、村木さんの創意工夫、そして鈴江ももちろん臨機応変に、図面などいつの間にかどこへいったのか?というくらいの臨機応変なつり方、たて方、照らし方。今までみたこともないような機材を、聞いたこともないような組み合わせと角度と並べ方で。村木さんが巨体をゆすって言いました。巨体のわりにはささやく声で。
「鈴江さん、いまあなたは世界一のプランナーですよ。」
「だよねえ。」
「だって世界で一人くらいしか こんなにさまざまな機材を駆使することにチャレンジした人はいないから。」
「いやほんとだよねえ。」
500ワットの灯体など数えるほどしか使わなかったのだ。見た感じに比べれば、使用した電力量は驚くほどの少なさで、300ワット、100ワット、85ワット、絞りもせずにバンドアも節約……しかしここまでやれるもんなんだなあ……

たくさんのお客様でした。
もうほんとに広島の実行委員会の人たちの支えは大変強力で。木材の客席しか持っていってないのに実行委員会は鋼鉄の頑丈さ。びくともしない客席。そして私たちの団結!
感謝感謝感謝しかありません。

いまはもうそれも思い出になるんだろうなあ、と想像するだけで切ない。
過ぎれば、たった一瞬前の事件だって思い出になる。
時間はそういう残酷なもので。
だけど思いの中に残るものは永遠だ。私たちの木材の客席はいつしか朽ちるだろう。修理して修理して、でもいつかはなくなる。だけど記憶は誰も奪えない。
そんな事件。広島は、事件でした。

2008
11,12
二口です

2houkou

無事広島から帰ってきました
年内の「顔を見ないと忘れる」の最終公演
広島の皆さんには本当にお世話になりました
ありがとうございました
何故だか皆さん始めてご一緒したとは思えない親密さがありました
またご一緒できればと願っています
本当にありがとうございました
そして打ち上げではまたまたごめんなさい
あつあつお鍋とみなさんの熱にすっかり酔いしれました

気がつけば4月から始まったツアーの動きは約8ヶ月が過ぎました
1年の大半をこの作品に費やしてきたのだと思うと
いま終えてみて大きく肩の荷が下りたような気分です
作品のよしあしを思うと自身にとってはやはりいつまでたっても発見でしかなく
定まらない時間がもどかしくも愛しくもありました
叱咤してくださった方、応援してくださった方さまざま
懐かしい人たちとの出会いもありました
その多くのことに感謝しています

長い旅の間、舞台の仕込みでたくさんのキズを負いました
そしてそのほかででも
全てが間抜けな自身のミスです
あるときは右足の薬指になぐり(金槌のことです)を落としてみたり
またあるときはラストシーンでリコーダーを止めてしまったり
いまだにずきずきと身体の中にそれはあります
なくならずに蓄積されていきます
寒くなるとふと思い出すそれです
そんなキズが本当にたくさんたくさんあります
でもそれが、それ自身が私の芝居そのものなのかもしれません

私の中で芝居というものは
あっちもこっちもずきずきと
痛かったり痒かったりで
ふと逃げ出したくもなるのですが
いまでは逃げ込む横丁もない始末です
そしてそのキズはいつしか思い出したように
芝居をしろシバイヲシロと私をこずくのです

山之口獏さんの詩を思い出します

さあ、4月には愛知に伺います
そのときにはまた新たな身体のキズを溜め込んで
少し違った私たちがいるはずです
ではそのときに
また









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