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演劇ユニット 昼ノ月

3人でお芝居します。
2024
04,25

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2009
04,12
二口です

今爽やかな風が
京都の街を包んでいます
この風はどこから来て
どこに行くのだろう

鴨川を夜中に歩いていると
ぴぃーぴぃーぴぃーぴぃー
鳴きながら真っ直ぐに
水平に飛んでいる鳥に出会います
夜中なので姿を見たことが一度もありません
どんなカッコウなのだろう

宮沢賢治の「よだかの星」を思い出します
燃え尽きてしまうよだか
しかしよだかは上へ上へ向ったのでしたか

私たちの芝居は
どこから来て
どこに行くのだろう

ぴぃーぴぃー
とは鳴かないけれど
真っ直ぐに水平に今度は東の空に向かって

飛んでいくのです




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2009
04,12
慌ただしくも、充実した日々がまたやってきます。
稽古は日に日に熱がこもったものになってます!
ああでもない、こうでもない、試行錯誤が思いもつかない素敵な瞬間をもたらしてくれます。
ときめきます。
こうしてたくさんの公演を経てもなお、新しい発見、新しい瞬間を感じられることに、驚きと深さを感じます。
もっともっと磨きます。
きっと本番はピッカピカに磨かれ、眩しすぎてみえないよ、なんてことになってるかもしれません。
みえないのはいかん。いや、その眩しい光の中に立つのだ、などなど。
とにかくいろいろ考えます。

そんな私たちの心を知ってか知らずか、金魚も跳ねてます。
   押谷
2009
04,11


こんばんは!あたたかい日が続きますね。
葉桜になりつつありますね。
それもまた綺麗です。

さて来週末はいよいよ愛知公演です!
ご予約はお済ですか?
プレイガイドでは18日19:30の回は売り切れたようです。
う、うれしい・・

高校生の方は昼ノ月HP限定でお得なチケット販売です!
な、なんと1000円!(前売のみ)

-・-・-・-・-・-・

●高校生割引のご予約方法●
事前に必ず演劇ユニット昼ノ月に
『観劇日時・枚数・御なまえ・フリガナ』を明記のうえ、
メールhirunotuki196363@mail.goo.ne.jp
あるいは電話 080-2402-9446 で予約してください。
そして、当日受付で学生証を提示してください。

-・-・-・-・-・-・

予約が遅れますと場内満席となり、観ていただけない場合がございますので、
予約はお早めに!

来週もお天気ですかね。
名古屋は美味しいものがたくさんあるからそれも楽しみです!

脇野

2009
04,08
二口です

公演の準備が進んでいきます
ずんずんしゅくしゅくと

またも身体のキズがうずき始めました
公演が近づくと必ず起こるそれです
そして公演が終わると必ず増えているそれです

実は今日は公開稽古なのです
稽古なのに公開です
後悔しました
なんて冗談交じりに、こう書いてみても仕方がなく
逃げ場はありません
ここにもまた小さなうずきがあります
でもその小さなうずきが栄養にもなるのも知っています
だから止められない
来てくださる方に感謝です

わずかでも時間をともに過ごすことの大切さいとしさ

先日広島と東京の若者が京都に芝居に来ました
小さな小さな公演でした
でもとても素敵な時間でした
とにかく芝居がしたい、見てもらいたいという気持ち
初めて出会う人たちと触れ合いたい、という恐れ
いろいろな感触が伝わってきて
新鮮でした
そう言えば随分昔に鈴江さんともう何人かで
彼らと同じように車一台で東京に芝居に行きましたっけ
新宿のタイニーアリス(昔末広亭の近くにあった頃の)でしたか

あ、また
ずきずき、と
むくむくと
身体の記憶が起き上がり騒ぎ出します
いろんなキズが地層のように積み重なって
いま、また、ふたたびの

「顔を見ないと忘れる」





2009
04,08

«さくら»

2人ちいさい

とんでもなく桜が咲いている。

っていう感情が、今年も私のところにある。
毎年見ているのに、どうしてこう、この桜っていう木は一気に派手に圧倒的に咲くのだろう。
毎年感心してしまう。
しかし古代はこの木をこんなにありがたがって鑑賞する習慣はこの土地にはなかったらしくて、むしろ梅のほうをありがたがっていたのだという。
最近アメリカの人と文通したら、「私は今年が初めての花見でわくわく」と書いてきてくれた。日本に住みはじめて一年目の方だ。ということはかの地にもその習慣はないのだ。
これだけ派手にこんなに木を並べて植えたからこそ、の、この圧倒的な風景なのだ、ということなのだろう。私たちの周りにある風景は、自然のものに見える木でも草でも川でも山でも、原始の自然がそのままというわけではない。人が昔に手を入れたそれが「美しいものだなあ」と感じるもとを作っていて、ということはつまりその感受性自体が、むかしの人が手を入れてこしらえた、というものになるのだきっと。

うつくしい、と感じているのは確かなつもりなのにこの感情は自然ではなくて不自然だということ。人工的な歴史的にこしらえられた感じ方だ、ということ。
これはなんだろう。

……などと考え込んでしまったら生活の感覚のいちから十まで疑わしくなってしまう。いやきっと世界は疑えば果てがないほど疑いがいのあるものなのだ。

じゃ人を恋するとは?人を欲するとは?人が人を求めるとは?実際に人がいないと人は存在が難しいほど苦しむではないか。これは?
……そんなことを考えながら、きっと今日も稽古場で私は芝居を見つめる。

役者が二人、そこに向かい合っている。

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