2007 |
11,26 |
先週の金曜日と土曜日におこなわれました昼ノ月ワークショップですが、無事に終了いたしました。
ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。
お芝居の経験がある方もない方もいろいろな方々が、参加してくれました。
ゲームなどで楽しみながら身体と心をほぐし、それぞれの身体を見つめなおした1日目。
いつもは使わない、使っていても意識していない筋肉や関節を意識することで自分の身体を知ることができたのではないでしょうか。
2日目には俳優としての身体について考えました。といってもスタイル(体の線)などではありません。
稽古を重ねるうちにどうしても忘れがちになる新鮮さ。
日常の私たちは常に何もかもが新しく時を重ねていますが、お芝居となるとそれができなくなります。
そこを考えてみました。
どうすれば、新鮮さを失わずに演技ができるのか。
それぞれが持ち寄ったシチュエーションを互いに重ねてみる。お互いに思いもよらない台詞がとびかうのです。
そりゃ、ドキドキします。これを、お互いに相手のシチュエーションを知った上で、もう一度再現してみるのです。
そこには来るだろうはずのセリフがそのまま来るのです。ドキドキはどうなるだろう。
結果は、様々でしたがドキドキを保つための手がかりのようなものがつかめたのではないかと思います。
2日間を通して、楽しみながら表現について考えられる良い機会であったと感じています。
本当にみなさん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
今回のワークショップが今後のみなさんのお役に立てばいいなと思います。
2007 |
11,22 |
いよいよワークショップが間近だ。
鈴江です。
僕はつい先日、ニューヨークにいってきたんだけれど、それは私の作品がドラマリーディングという形で発表されるから、それを見に行ってきたんだけれど、なかなか刺激的で。作品は「ともだちが来た」。タイトルは「My friend has come」。当たり前といえば当たり前のタイトルだ。それだけに深い!……なんて自画自賛。
要するに台本を持ったままの芝居、基本は朗読だけ、というステージなのだが、稽古は立った二日間。たいていそんな稽古日数で数十人のお客さんの前に立つ、ということが欧米での慣習なのだが、その稽古に一回だけ立ち会った。
欧米の役者は訓練期間が長い。そして濃密だ。米国でプロの俳優になるのは、ほぼ必ず、演劇専門の大学院を修了する必要がある。しかもその修了公演を主役級の配役をされてないとエージェントの目にとまらない。エージェントが「うちに来てほしい」という――→労働組合に加入する――→健康保険などの権利が手に入る/演劇のプロデューサーたちが採用する役者のリストに載る、というような段取りでプロになるのだ。そこまで来るのに相当な競争、淘汰が行われる。
例えば演出を担当したジェイムスさん、この人は現役のブロードウエイの俳優だけれど、大学は文学専攻。大学院から演劇。100倍ほどの競争率。米国中の大学に演劇専攻の大学院はあるけれど、どこに入ってもいいというものではなく、数箇所しかない、「プロのエージェントが卒業公演を見に来る大学院」にはいらないと、プロにはなれない。もちろんだからそういう大学院になると競争率は高くなるのだ。で、入ったのち、大学院は厳しい。10人入学したうち、7人しか修了しなかった。そのうちエージェントが採用するのはゼロから数人。採用されたからって皆がそれで、演劇だけで生活できるかというととんでもない話で、ストレートプレイ<ミュージカル俳優<映画俳優<テレビ俳優、のような感じでギャラの単価の格差があるらしい。役者として最も濃密に、自由で深くとりくめるのがストレートプレイだと鈴江は思うのだけれど、現場での役者の扱いがもっともアーチストとして尊敬されている感じなのがストレートプレイなのだけれど、やはりあっちでもこっちでも芝居で生計を立てるのは困難らしくて。
まあそんなこんなで、とにかくそこにいた役者さんたちは厳しい淘汰を生き残った大学院修了のインテリたちだ。役者、っていうのは、相当知性が高くないとなれない職業だ。彼らは議論ができる。本を大量に読んでいる。戯曲をどう読むか、語らせればすぐ1時間くらいの講義ができる。だから演出とのコミュニケーション、やりとりは相当濃密に、短時間に要領よく行われる。指示、そしてそれにうなづく、てな程度のものではない。提案、理解、逆提案、試してみよう、そして稽古、それについての検討、理解、別の提案、その検討、理解、また別の提案、それ試してみよう、……そして、その議論の中味をきちんと反映した抜き稽古なのだ。議論は立派だけどやることはちっともバリエーションがないこちらの稽古の様子とはやはり悲しいくらい違うのだ。役者が演出の言わんとしていることを理解するのが速い。そして実現してしまうのが小気味よい。理解する脳みそと、発案する脳みそと、実現してしまう肉体と、両方兼ね備えているのが、もううらやましくてしかたない。日本ではこんな役者さん見たことないよなあ……といくたびに感じるのだ。悲しいけれど。そして私の周りの役者さんだけは例外なのだけれど。えへへ。
演劇を作るのは役者だ。もう、それは間違いない。
役者を造るのは訓練だ。もう、それは間違いない。
訓練を考えるのは、役者たちだ。そして演出だ。未来はあり、希望はあるのだ!
nyにお芝居を上演しにいく未来を考えたりした。摩天楼の足元をふらふら歩きながら。そんな役者を、日本で、京都で、育てたい、出会いたいのである。
お待ちしてます。ワークショップで。
写真はnyの朝。リーディングは今日行われる。寒いだけじゃない理由でふるえてた。
2007 |
11,10 |
«走るはしる。»
今日の京都は、秋晴れの清々しい風がふいていました。
みなさま、いかがお過ごしでしたか。押谷です。
昼ノ月は一体何をやっているのだ。ブログの更新もしないで。
いえいえ、私たちは少しずつ、でも着実に静かにひっそりと縁の下でいや上でも動いておりましたよ。
いろいろな計画が少しずつ動き出しているのです。うひひひ。
自転車を飛ばして、バイクを飛ばして、秘密基地に集まって。
夜中にこっそり作戦会議なのです。いつの間にか熱くなって、声張り上げたりなんかして。
しーーー!!ダメだって。誰かに聞かれたらどうするの。
違う。もう夜中の12時を回ってるんだから、近所迷惑にならないように。
作戦会議が終わっても話すことは尽きず。
秘密基地に棚を作って書類とかたくさん置けたらいいよね。
なんだか、事務所の室内をデザインするように、秘密基地をカスタマイズしていくのです。
どんな棚にしようか。
ペンが走るはしる。
あっという間に、棚の図面が出来上がりました。
あとは、必要な材木を買って来てつくるだけ。
何度も作戦会議を重ね、いよいよ始動です。
昼ノ月ワークショップ~俳優の身体を探す旅に出る 2~を開催します。
只今、参加予約受付中です。
昼ノ月メンバーは、みなさまのご参加をお待ちしています。
2007 |
11,07 |
«今日はいい天気»
二口です。
ブログにこうやって手を入れるのもほぼ半年振りです。
前回は第一回目のWS「俳優の身体を探す旅に出る」の記録を書いている途中に私の記憶がどこかに失踪し本当に旅立ってしまったので、中途半端な記録だけが宙に浮いたままになってしまっています。
もしその記事を少しでも興味を持ってご覧になってくださっていた方がいらしたら本当にごめんなさい。
あの時は書いているうち、時間がたつにつれなんだかWSの時の新鮮なドキドキが失われていき、これはまずいと思いながらも手から零れ落ちていくみずみずしい参加者の方の空気が薄まっていくことに耐え切れず、とうとう最後まで書くことができませんでいた。
いまでもブログを見るのが辛くてなりません。(いえ、本当はただの怠慢なのですが)
しかしいつまでも宙に浮かせてしまっていてはこれからやってくるユリカモメも邪魔で困るでしょうからなんとか新たに一歩を踏む出さねばと思っています。
そうです、鈴江さんに叱咤され、押谷さんにはお尻を押され、脇野さんにはコチョコチョされ第二回目のWSを開催することになりました。いえいえ、しました。
今度こそは記録をきちんと最後まで取っていこうと思っています。
手から零れ落ちる前に。
どうぞ多くの方のご参加お待ちしています。
府立文化芸術会館の洋室Bが溢れんばかりの熱気と笑いと大人の空気と想像力でいっぱいになる時間を一緒に作りましょう。
きっとそんな体験がそこにはあります。
演劇をどうしても続けてしまう魔力がそこにあります。
でもそれは出会ってしまっては最後、もう抜けられない「ナニカ」かもしれませんが。
おお、それは恐ろしい。
きっと難しくはありませんが、決して簡単ではありません。
でも先ずは遊びに来てください。
お待ちしています。
2007 |
11,05 |
ワークショップがもう間もなく、始まる。迫っている。
われわれはまた集まってああでもないこうでもないと会議。話し合い。ミーティング。悩みの相談。うちあけばなし。建設的なバトルトーク。うしろむきな心のすき間に励ましと恫喝。
いろいろやりながら進んでいくのです。
練りに練った案が、次第にでき上がりつつあります。
コーヒーが飲めない二口氏と、昆布茶ばかりすすってしまう鈴江氏と、なんでもこいの押谷氏と、制作に加わってくれた脇野裕美子氏は抹茶ケーキをちびちびきざんでおります。
いろいろやりながら進んできました。
役者をする、っていうのはどういうことなんだろう。そもそもどうして人は役者をするのだろう。したいのだろう。
僕は知ってます。
たった一度だけ目にしてしまったあのひとの、あのときの、吐息ひとつのせいなのです。
みんな、そうなのです。
とりつかれてしまっている。目ざすものはありありと見えているのに、そこまでになかなか到達できない僕らのこの胸のもどかしさ。恋焦がれる遠さ。ときどきちらりと錯覚させる近さ。
こんどのワークショップでも、私たちは一歩でも近づくチャレンジだけは、惜しまないのです。
どうかどしどし参加申し込みを!お待ちしてます。