2008 |
07,26 |
«松山へ»
四国へ渡った。松山。坊ちゃんなんとか、という名前の建物、食べ物屋、電車、……俳句の里。俳句をやってます、という若い人に出会ったのは初めてだった。俳句のイメージ、というと、私には尾崎放哉、種田山頭火……孤独で貧困のうちに没す、というようなものが固かったのだが、こちらの俳人は明るい光の中でさわやかに笑う。いやもちろん僕の俳句についてのイメージが偏りすぎてるだけなんだけど。
戯曲講座。「一泊二日で最後まで書ききる奇跡の会」だ。そして、その奇跡を、30人中25人が実現した。以前高校生の集まりでチャレンジしてみたことがあって、その時も奇跡は実現した。でもその奇跡はきっと高校生特有のマジックなのだ、こんなこと何回も成功するものじゃない、と勝手に割り切っていたのだが、なんと今回は大人たち、立派な20代、30代、40代、50代、……最高齢は60代後半の方までおられた。そんなメンバーが引き起こした奇跡だったのだ。人間に隠されたちからの大きさよ。「やってみようよ!きっとできるはず!」って鼓舞していた僕がその結果に戸惑ったくらいなのだ。
そしてその一泊二日からしばらくたって、なんと戯曲集が製本され。なんと古本屋だってかさばるから嫌がりそうな分厚さ、大きさになっている。そりゃ25人だからそうなるわさ。そして、書いた人たちが集まって、リーディングの会。自分の作品が他人によって読まれ、動かれ、座られ、少しだけ立体化されるこの恥ずかしさ、この情けなさ、そしてうれしさ。
感動的なリーディングもあった。これはもう是非フルプロダクションの上演にするべきだ!と肩つかまえてゆさぶりたいような震えるような作品。
めいっぱいそれらの感情を体験している受講生は皆子供の目にかえっている。
皆会が終わってもかえりたがらない。いつまでもしゃべっている。おかげで翌日私は寝不足で身体がきつい。うれしいきつさだけれど。
松山は海からの風が吹くからだろうか。京都よりはずいぶん湿気がない空気。さわやかだった。いや気のせいだろうか。瀬戸大橋を電車が渡る頃から、私の先入観は空気さえ楽しいものに感じさせていたのかもしれない。
人の創作を励まして、そしたら自分の創作にはねかえってきた。私は負けてないのか?負けてなるものか。
すごいのをやるぞ。やるのだ。やれそうだ。
皆さん、間もなく鳥取です。倉敷です。そして東京です。どうぞご期待あれ。
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