2008 |
05,17 |
«ふかいぞ»
2008 |
05,14 |
«からだをつくる»
2008 |
05,13 |
«そらのみち»
二口です
先日見上げると真っ青な空にくもが一筋道をつけていました。
あの道はどこにつながっているのだろう。
どこに行けるのだろう。
遠いせかいに思いを馳せました。
ちょっとくらくらするけれど。
稽古に行く途中のことでした。
今回の公演はアトリエ劇研演劇祭に招待されたものです。
演劇祭のテーマは「道」。
私達の進む道はどこにつながっているのでしょう。
それはどこから始まっているのでしょう。
鈴江さんとはじめて出会ったあの日。
押谷さんとはじめて目をかわしたあの日。
もうずっと遠くなってしまったあの日を想います。
そしてこれからのずっと遠くのその日を想います。
私自身の道はどこに向かっているのでしょうか。
どうもここが頼りない。
でも信じよう、自身の演技の不確かさだけは。
ゆらゆらゆれる時間だけは。
不思議に思われるかもしれませんが演技とは一瞬一瞬の不確実は時間の積み重ねでしかないと思っています。
でもそれが、そのゆれこそがドキドキした一連の時間を作るのではないだろうか、とも。
どこにもないはじめて目にする時間が出来上がる瞬間が楽しみです。
知らず知らずに道になっていればよいなぁ。
そう願いながら。
「そらのみち」を今日も探して空を見上げます。。
ちょっと訂正をひとつ。
以前書いた文章、雑誌の取材で写真を撮っていただいたことを書いたとき「セイタカアワダチソウに埋もれています」と書いたのですが間違いでした。
「のはらがらしに埋もれています」が正しいようです。
鴨川に咲く「のはらがらし」。
黄色にさくこの花は美しくそらのみちを指してゆれています。
先日見上げると真っ青な空にくもが一筋道をつけていました。
あの道はどこにつながっているのだろう。
どこに行けるのだろう。
遠いせかいに思いを馳せました。
ちょっとくらくらするけれど。
稽古に行く途中のことでした。
今回の公演はアトリエ劇研演劇祭に招待されたものです。
演劇祭のテーマは「道」。
私達の進む道はどこにつながっているのでしょう。
それはどこから始まっているのでしょう。
鈴江さんとはじめて出会ったあの日。
押谷さんとはじめて目をかわしたあの日。
もうずっと遠くなってしまったあの日を想います。
そしてこれからのずっと遠くのその日を想います。
私自身の道はどこに向かっているのでしょうか。
どうもここが頼りない。
でも信じよう、自身の演技の不確かさだけは。
ゆらゆらゆれる時間だけは。
不思議に思われるかもしれませんが演技とは一瞬一瞬の不確実は時間の積み重ねでしかないと思っています。
でもそれが、そのゆれこそがドキドキした一連の時間を作るのではないだろうか、とも。
どこにもないはじめて目にする時間が出来上がる瞬間が楽しみです。
知らず知らずに道になっていればよいなぁ。
そう願いながら。
「そらのみち」を今日も探して空を見上げます。。
ちょっと訂正をひとつ。
以前書いた文章、雑誌の取材で写真を撮っていただいたことを書いたとき「セイタカアワダチソウに埋もれています」と書いたのですが間違いでした。
「のはらがらしに埋もれています」が正しいようです。
鴨川に咲く「のはらがらし」。
黄色にさくこの花は美しくそらのみちを指してゆれています。
2008 |
05,13 |
«稽古の背中。»
2008 |
05,11 |
これはなんだ?
きっと芝居を見る人は気づかない。いや、気づかれてはいけない。けれど我々はこういうものをたくさんたくさんつくっている。ううん。なんだこれは。これはなんなんだ!
……こっそり教えるかもしれません。にこられ公演に来られたその日、あなたに。
舞台美術のたたきはもう手がとげだらけです。
いま手が握れません。
指のやらかいところに刺さった木屑。ちいさな。ちいさな。
抜くのを忘れて一日二日働いてしまうと、抜けなくなって、からだの組織の一部になるのでしょうか。
うう。こわあ。
だけどこの木屑が鈴江の肉体の一部になる頃、私たちの芝居は最強なものになるのである。
と言い聞かせながら、いや、言い聞かせてるとなるほどわれながらそんなことは十分根拠がありそうで、わくわくしながら、やっております。
私の身体は木屑ひとかけら分、重くなって、お芝居は木屑ひとかけら分、強くなってます。
なってます。すげえ。
で、なんなんだこれ。
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